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家庭集会

 弁護士のK先生のご自宅で家庭集会が毎月第1金曜日に開かれているので参加してきた。先生のご自宅は岡大のすぐそばにある。夜の7時半から9時半までだ。
 前回一緒に参加した修習生のT君は、松村先生の送別会で来なかった。僕は送別会を聞いていないのだが。。。。
 まあいいか。


 今回は、ルカによる福音書17章20節乃至37節だった。

 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人(びと)が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また、『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
 それから弟子(でし)たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水(こうずい)が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄(いおう)とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。
 その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。
 ロトの妻のことを思い出しなさい。
 自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。
 あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
 弟子(でし)たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

  牧師さんの説明を聞いたが最後の、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」の意味がよくわからなかった。  
  三浦先生によると松村先生の送別会は、卒業生のT君が企画したもので教員は呼ばれなかったそうだ。。。。

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