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信じない人のための法華経講座

 僕のおじいちゃんは昭和大恐慌の時に他人の保証人になって全財産を失い無一文となった。茫然自失したおじいちゃんは法華経にひたすら救いを求めた。そのおかげ(日蓮宗の寺の人々の善意のこと)で長男は日蓮宗の大学に行き日蓮宗の僧侶になりその子どもは多くの寺をもつ住職となってベンツを乗り回して檀信徒をまわっている。次男であった僕の父は妙林寺という寺から朝日高校に通わせてもらい、岡山大学を出て弁護士となった。
信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)
 さて、本書は、法華経の中にある観音経が説くような即物的救済が現実に起こることはないという。
 それはそのとおりである。
 そこから、本書はp156~157で次の宮沢賢治の有名な詩をあげて、しかし、そこに救済があると展開していくのだ。

  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
  北ニケンクワヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニ
  ワタシハナリタイ

 そして法華の行者としての賢治のこの詩から、次のように展開する(同書p158)。

「ここで求められているのは、人と人の出会い-助ける人と助けられる人との出会い-であり、苦の除去というよりは苦の分かち合い」である。その典型は「涙」である。これは「無力」で「デクノボー的」だ。しかし、これこそが救済なのである。
 「ブッダは、世界の苦と苦の相互関係の一切を自己の智恵と慈悲のうちに取り込んでいます。現世において苦しむ者と、その者に救いの手を差し出す者との出会いの瞬間に、ブッダの臨在がある」というのだ。
 本書は、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の「ほんたおうの神さま」について議論するところをとりあげて人生の終着駅である「終点(天国)がある者」と「ない者」(天国からあえて戻って来て救済を求める人に手を差しのべる者)を対比して終章としていた。
 ちなにみ銀河鉄道の主人公のジョバンニというのはヨハネのイタリア名である。

・参考 『銀河鉄道の夜』の「ほんたおうの神さま」のところ・・・・・

 ジョバンニがこらえかねて言(い)いました。
「僕(ぼく)たちといっしょに乗(の)って行こう。僕(ぼく)たちどこまでだって行ける切符(きっぷ)持(も)ってるんだ」
「だけどあたしたち、もうここで降(お)りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから」
 女の子がさびしそうに言(い)いました。
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕(ぼく)の先生が言(い)ったよ」
「だっておっ母(か)さんも行ってらっしゃるし、それに神(かみ)さまがおっしゃるんだわ」
「そんな神(かみ)さまうその神(かみ)さまだい」
「あなたの神(かみ)さまうその神(かみ)さまよ」
「そうじゃないよ」
「あなたの神(かみ)さまってどんな神(かみ)さまですか」
 青年は笑(わら)いながら言(い)いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人(ひとり)の神(かみ)さまです」
「ほんとうの神(かみ)さまはもちろんたった一人(ひとり)です」
「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神(かみ)さまです」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神(かみ)さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈(いの)ります」
 青年はつつましく両手(りょうて)を組みました。
 女の子もちょうどその通りにしました。
 みんなほんとうに別(わか)れが惜(お)しそうで、その顔いろも少し青ざめて見えました。
 ジョバンニはあぶなく声をあげて泣(な)き出そうとしました。
「さあもうしたくはいいんですか。じきサウザンクロスですから」
 ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙(だいだい)や、もうあらゆる光でちりばめられた十字架(じゅうじか)が、まるで一本の木というふうに川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるい環(わ)になって後光のようにかかっているのでした。
 汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈(いの)りをはじめました。
 あっちにもこっちにも子供が瓜(うり)に飛(と)びついたときのようなよろこびの声や、なんとも言いようない深(ふか)いつつましいためいきの音ばかりきこえました。
 そしてだんだん十字架(じゅうじか)は窓(まど)の正面(しょうめん)になり、あの苹果(りんご)の肉(にく)のような青じろい環(わ)の雲も、ゆるやかにゆるやかに繞(めぐ)っているのが見えました。
 「ハレルヤ、ハレルヤ」
 明るくたのしくみんなの声はひびき、みんなはそのそらの遠くから、つめたいそらの遠くから、すきとおったなんとも言(い)えずさわやかなラッパの声をききました。
 そしてたくさんのシグナルや電燈(でんとう)の灯(あかり)のなかを汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架(じゅうじか)のちょうどま向(む)かいに行ってすっかりとまりました。
「さあ、おりるんですよ」
 青年は男の子の手をひき姉(あね)は互(たが)いにえりや肩(かた)をなおしてやってだんだん向(む)こうの出口の方へ歩き出しました。
「じゃさよなら」
 女の子がふりかえって二人に言(い)いました。
「さよなら」
 ジョバンニはまるで泣(な)き出したいのをこらえておこったようにぶっきらぼうに言(い)いました。
 女の子はいかにもつらそうに眼(め)を大きくして、も一度(ど)こっちをふりかえって、それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
 汽車の中はもう半分以上(はんぶんいじょう)も空(す)いてしまいにわかにがらんとして、さびしくなり風がいっぱいに吹(ふ)き込(こ)みました。
 そして見ているとみんなはつつましく列(れつ)を組んで、あの十字架(じゅうじか)の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。
 そしてその見えない天の川の水をわたって、ひとりのこうごうしい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。
 けれどもそのときはもう硝子(ガラス)の呼(よ)び子は鳴らされ汽車はうごきだし、と思ううちに銀(ぎん)いろの霧(きり)が川下の方から、すうっと流(なが)れて来て、もうそっちは何も見えなくなりました。
 ただたくさんのくるみの木が葉(は)をさんさんと光らしてその霧(きり)の中に立ち、黄金(きん)の円光をもった電気栗鼠(でんきりす)が可愛(かわい)い顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。
 そのとき、すうっと霧(きり)がはれかかりました。
 どこかへ行く街道(かいどう)らしく小さな電燈(でんとう)の一列(いちれつ)についた通りがありました。
 それはしばらく線路(せんろ)に沿(そ)って進(すす)んでいました。
 そして二人(ふたり)がそのあかしの前を通って行くときは、その小さな豆いろの火はちょうどあいさつでもするようにぽかっと消(き)え、二人(ふたり)が過ぎて行くときまた点(つ)くのでした。
 ふりかえって見ると、さっきの十字架(じゅうじか)はすっかり小さくなってしまい、ほんとうにもうそのまま胸(むね)にもつるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚(なぎさ)にまだひざまずいているのか、それともどこか方角(ほうがく)もわからないその天上へ行ったのか、ぼんやりして見分けられませんでした。
 ジョバンニは、ああ、と深(ふか)く息(いき)しました。
「カムパネルラ、また僕(ぼく)たち二人(ふたり)きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕(ぼく)はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕(ぼく)のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない」
「うん。僕(ぼく)だってそうだ」カムパネルラの眼(め)にはきれいな涙(なみだ)がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう
 ジョバンニが言(い)いました。
「僕(ぼく)わからない」
 カムパネルラがぼんやり言(い)いました。
「僕(ぼく)たちしっかりやろうねえ」
 ジョバンニが胸(むね)いっぱい新しい力が湧(わ)くように、ふうと息(いき)をしながら言(い)いました。
「あ、あすこ石炭袋(せきたんぶくろ)だよ。そらの孔(あな)だよ」
 カムパネルラが少しそっちを避(さ)けるようにしながら天の川のひととこを指(ゆび)さしました。
 ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔(あな)が、どおんとあいているのです。その底(そこ)がどれほど深(ふか)いか、その奥(おく)に何があるか、いくら眼(め)をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼(め)がしんしんと痛(いた)むのでした。ジョバンニが言(い)いました。
「僕(ぼく)もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕(ぼく)たちいっしょに進(すす)んで行こう」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集(あつ)まってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ」
 カムパネルラはにわかに窓(まど)の遠くに見えるきれいな野原を指(さ)して叫(さけ)びました。
 ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかり、どうしてもカムパネルラが言(い)ったように思われませんでした。

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