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散らす人生

「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。『彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう』と書いてあるとおりである」(コリント人への第2の手紙9章6節~9節)。

 柏木哲夫先生は、人には「集める人生」(自分のために生きる人生)の人と、「散らす人生」(他者と供に生きる人生)の人がいるといい、「集める人生」の人に幸せや安らぎはないという。三浦綾子は、「人が死んでのちに残るのは、集めたものではなくて散らしたものである」という。道元は、「放てば満てり」という。

 というようなことを考えた一日だった。

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Comment

匿名 #- - URL
2013/03/21 (Thu) 05:10

ちょっと私には難しい言葉でしたが、仏教で説く利他の精神にも通じるものでしょうか?

私が知るのは自行化他。自らが信仰で幸せになるだけでなく、他者にも信仰による幸せを説き、自他共に幸せに生きていくべきだと。

信仰でなくても、自助自立だけでなく共助も大切なのかなと思うこの頃です。

まだまだ勉強不足ですみません。

No title
P&Cの井藤 #- - URL
2013/03/21 (Thu) 07:59

 ギブアンドギブ、ギブ、ギブ、ギブということでしょう。


No title
abc #Zjtz4xDc - URL
2013/03/21 (Thu) 08:42

十戒にいう、「隣人の家をむさぼってはいけないこと」も同じ意味ですね。
私も最近、他人の振る舞いを見て、散らすことの重要性をよく考えます。
先生が昨日そのようにお考えになったのは、何かきっかけがございましたか?

>匿名様 ユダヤ教も、キリスト教も歴史的にみて、元は同じです。
神道とユダヤ教には共通点が数多く見られます(日ユ同祖論、八幡=ユダヤ教・キリスト教の神の名前説)。
神道と仏教は、融合が図られています(本地垂迹説、反本地垂迹説)から、キリスト教の考えと仏教の考えが通ずるのだと私は思います。

No title
の #- - URL
2013/03/21 (Thu) 08:51

与えることの重要性は痛感しています。
しかし、与える続けるのは本当にしんどい。
裏切りにあったり、報われなかったりするとめげそうになります。
そのような時でも、また与えようと思える原動力はいったい何なのでしょうか?

No title
abc #Zjtz4xDc - URL
2013/03/24 (Sun) 11:55

>の様
私も昔、裏切られ、傷つくことがありました。
それでも、私は与えることをし続けています。
大事なことは信じることです。
いつかは絶対にわかっていただけます。
の様にこの曲をお送りします。
http://www.youtube.com/watch?v=qL8ZD1v0vN8
http://www.youtube.com/watch?v=dl3Hvb5sKkg

No title
P&Cの井藤 #- - URL
2013/03/24 (Sun) 12:11

 ちょっとしたできごとがありまして。

 ギブアンド、ギブギブギブギブというのは、
 見返りを求めないという意味ですからね。
 でも、やっぱり人間ですから、時には。。。

 いい曲をありがとうございます。


 
 

No title
芳賀 #- - URL
2013/03/24 (Sun) 15:33

法が、止むを得ない必要悪といわれる所以ですね。ー

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