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客はアートでやってくる

客はアートでやって来る

 帰りの新幹線で読んだのが、この本だ。
 老舗旅館をアートと保養で改革した話だ。
 場所は、板室温泉大黒屋で、主人公は、室井 俊二で、特色は、アートスタイル経営だった。
 
 経営というものを考える上で大変参考になった。僕の事務所も変革が必要だ。

セーラが町にやってきた

セーラが町にやってきた (日経ビジネス人文庫)

 今日は、日弁連の「第4回法科大学院実務家教員研究交流集会」の報告者になっていたので朝から東京へ。
 行きの新幹線で読んだのがこの本だ。

 セーラが果敢に伝統に挑戦し、それを復活させ、町を明るくしているのがわかる。
 人生こうでなくては。

 舞台は、桝一市村酒造場だ。
 読むとやる気がでます。さあ、明日もがんばろう。

サソリの法則

 サソリの法則

 昔とある川のほとり、そこに一匹のカエルが住んでいた。
 そこへ一匹のサソリがやってきて、カエルにむかって『おいおいカエル。俺はその川をわたらなければいけないんだ。でも泳げないんだ。俺を君の背中に乗せて向こう岸まで渡らせてくれ』と頼んだ。
 カエルは『冗談じゃないよ。サソリ君。僕が君を背中に乗せたら、川を渡っている途中で、君は僕を刺して殺すんだろ。そんなこと出来るわけ無いじゃないか』と断った。
 サソリは笑いながら『馬鹿だなお前。よく考えてみろよ。もし俺が君を刺したら、俺だって溺れて死んでしまうだろ。そんなことするわけないだろ』と言った。
 サソリの言葉を聞いて、カエルは『そりゃ、そうだよね。よし君を乗せて川を渡ってあげるよ』と安心して引き受けた。
 そうして、カエルはサソリを背中に乗せて、川を向こう岸に向かって泳いで渡り始めた。
 しかし、川の中程まで来たところで、カエルは背中に痛みを感じた。サソリが突然カエルを刺したのだ。
 驚いたカエルは『どうしてなんだい、サソリ君。こんな馬鹿なことをしてしまったら、僕たち二人とも死んでしまうんだよぉ…』と遠ざかる意識の中で叫んだ。
 サソリは、『ああ、わかっているさ。でも、とめられなかったんだ。これが俺の本能(さが)だからな』と溺れながら答えた。
 まもくなく二匹は川底へ沈み死んでしまった。

● 人間の性質(サガ)は変わらない。変な人に近づいたら人生がだいなしだ。お釈迦様もいいました、変な人に近づいてはいけないと。

今日のひとこと

 「芋虫が、この世の終わりだと考えるものを、神は蝶々とよぶ」(リチャード・バーク)

 問題(逆境)は人生の一部であり、また自分のステージをあげる神の恩寵である。

今日の言葉

 人生は一冊の書物に似ている。ばか者達はそれをペラペラとめくってゆくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜなら、かれはただ一度しかそれを読むことができないことをしっているからだ。(ジャン・パウル)

 どんな仕事でもよい。世のために人のために役立つ事を自分の生きてきた証拠として遺すこと、これが生きるという事じゃないかな。(長谷川伸)

 人間というものは、動物と違って損をすることが、できなくていけないのである。これが、人間と動物を区別する大きな違いである。(曾野綾子)

 茶碗は二つだけ。客が来ると女房は、皿で食べた。いい暮らしをするためには、人一倍練習するしかないと思った。(山田久志)

 ちっぽけな快楽ほど人間を小さくするものはない。(ジュベール)

 鋭さを面にあらわして歩いているような男は才物であっても、二流だ。一流の人物というのは、少々バカにみえる。(司馬遼太郎)

 悟りという事は、如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思うていたのは間違いで、悟りというは如何なる場合にも平気で生きている事であった。(正岡子規)

 吾々両親は完全に君に満足し、君を吾が子とすることを何よりの誇りとしている。僕はもし生まれ変わって妻を択べといわれたら幾度でも君のお母さんを択ぶ。同時に、もしも吾が子を選ぶということができるものなら、吾々二人は、必ず君を択ぶ。(小泉信三)

今日の聖書

詩編22篇

 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。 
 なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。
 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。
 彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
 しかし、わたしは虫であって、人ではない。
 人にそしられ、民に侮られる。
 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。
 母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。
 わたしを遠く離れないでください。
 悩みが近づき、助ける者がないのです。
 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。
 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。
 あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。 
 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。
 彼らは目をとめて、わたしを見る。
 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。
 しかし主よ、遠く離れないでください。
 わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。
 ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。
 イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。
 わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。
 どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。
 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。
 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。
 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

今日の公案

 「二人行く一人は濡れぬ時雨かな」

 雨がふったとき(逆境の時)、嫌だなと思うか、そう思わないか。こころの持ちようでずいぶん違うということを悟らせる公案です。

争わない

 たとひ我れ道理を以ていふに、人僻事をいふを、理を攻て言ひ勝つは悪きなり。次に、我は現に道理と思へども、「吾が非にこそ」と言って、負けてのくも、あしばやなると言ふなり。ただ人をも言ひおらず、我僻事にもいいおおせず、無為にして止めるが好きなり。耳に聴入れぬやうにて、忘るれば、人も忘れて怒らざるなり。第一の用心なり。(正法眼蔵随聞記2・7)

書記官事務を中心とした和解条項に関する実証的研究

 昨日は東京の日弁連に打ち合わせにでかけたので法曹会にたちよって本を買った。

 書記官事務を中心とした和解条項に関する実証的研究 ― 補訂版・和解条項記載例集

 法曹会 ← ここに連絡すれば購入できます。

 旧版をもっているが、補訂版が出たので買おうと思っていたのだ。

 なお、次の本も参考になるので実務家はもっておいて損はないだろう。

訴訟上の和解 モデル文例100


聖書を読む会

 毎月第三木曜日は聖書を読む会だ。
 今日はビートルズの Let it be だった。

 これは、「let it be to me according to your word」(Luke. 1:38)に基づくものだそうだ。
 口語訳聖書だと「お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカによる福音書1章38節)と訳されている部分だ。
 そういうわけで、キリスト教圏の人は、みんなこの曲を聴くと「受胎告知」の場面が頭に思い浮かぶそうだ。

 大原美術館にはエルグレコの受胎告知があるのでみなさんも是非一度見に行かれてはどうでしょうか。

40歳からの知的生産術

40歳からの知的生産術 (ちくま新書)

1  マニュアルを使う人ではなく創る人になろう。
2  携帯電話は持たない。
3  パソコンは自宅におかない。
4  ツイッターやブログは見ないし、しない。
5  早寝早起き、飲み会にはいかない。
6  どうでもいいことや変な人にはかかわらない。
7  能動的に生きる(クレジットカードは使わない。モバゲーなど無意味なことはしない)
8  うさんくさいもの(儲け話、投資話、オカルト等)は切り捨てる。
9  浅い人間関係は遮断する。
10 本を読み、深く考え、人生を楽しもう。

今日の聖書のことば

 マタイによる福音書11章28節乃至30節
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

今日の名言

「世の中は、食うて糞して寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりよ」(一休)

「ロバが旅にでかけたところで、馬になって帰ってくるわけではない」(西諺)

「能力のあるものは未来にとりかかれ。過去は弁護士の仕事だ」(本田宗一郎)

「良書を読むには悪書を読まぬ事だ。人生は短く、時と力は限られている」(ショウペンハウエル)
  人生は有限だ、下らない本を読む暇はない。

「若い頃、金こそが人生で最も大切な物だと思った。年をとってみると、まったくそのとおりだった」(オスカーワイルド)

「金を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すが上」(古諺)
  小金持ちの子どもは相続争いで人生を棒に振るからね。

「汝の最大の敵、それは汝である」(ロングフェロー)
  釈尊も、自分に勝つ者が最大の勝者であると述べていたね。

「成功に極意はない。私が成功したのは、ただ他人の掘った後をもう一間ずつよけいに掘っただけだ」(古川一兵衛)

「サルから人間ができるのには数百万年が必要だったが。人間がサル以下になるのは一瞬だ」(J・M・ブロード)

「戦争を終わらせるもっとも手っ取り早い方法は何か。それは負けることである」(ジョージ・オーウェル)

「人間一生、わずかのことなり。好いたことして暮らすべきなり」(山本常朝)
  葉隠れの最後に秘伝として書かれている言葉である。

辞世の句

「心形、久しく労して、一生ここに極まれり」(最澄 享年56)
「吾入滅せんと擬するは、今年3月31日寅の刻なり、もろもろの弟子ら悲泣することなかれ」(空海 享年62)
  一応、空海は現在も部屋で禅定していることになっているので、空海のところへ毎日食事が運ばれています。

「処分は腕力によるべし」(鳥羽僧正覚猷 享年88)
  臨終の際、弟子に遺産をどうわけるか聞かれたときの言葉。そんなことはどうでもいいという意味。

「某、閉眼せば、鴨川に入れて魚に与うべし」(親鸞 享年90)
「野に捨てて、獣に施すべし」(一遍 享年51)
  中学生の時に、社会の先生にどうして一遍は自分の書いた本をすべて焼き捨てたのか聞いたところ、知らないと答えられました。高校生になって日本史の先生に同じ質問をしたところ、どうしてでしょうねといわれました。

「虚空地に落ち、火星乱れ飛ぶとも、筋斗を倒打して、哲囲を抹過せん」(絶海中津 享年70)
  ちょっと力みすぎでは。

「滴水滴凍 七十七年 一機瞥転すれば 火裡に泉を酌む」(華叟宗曇 享年77)
  さあ新しい世界がまたはじまるぞ。さすが一休さんの師匠だ。

「花咲いて、死にとうないが病かな
 来山は生まれた咎で死ぬるなり それで恨みも何もかもなし」(小西来山 享年63)

「百居ても同じ浮世に同じ花 月はまんまる雪はしろたえ」(油煙斎貞柳 享年81)

「盥(たらい)から盥へうつるちんぷんかん
 ああままよ生きても亀の百分の一」(小林一茶 享年65)
  遺産相続で継母と十数年も争うという愚かな行為をしていますし、52歳ではじめて結婚するも三人の子も妻も次々と死に、二番部の妻には離婚され、三番目の妻との間に生まれた子どもがやっと成長するが、この子が生まれたのは一茶の死後であるという端から見ると大変不幸な一生でした。死ぬ前に大火にあい、財産を失い土蔵で死にました。

「これでおしまい」(勝海舟 享年77)

達磨の話

 子どもと一緒に解いている電話帳に出ていた達磨の話(出典は、一休話し)はつぎのようなものです。

 或る時、般若多羅尊者の来りたまひて、光明かくやくたる璧をささげ、三人の息子に見せたまひつつ、心をためさんとして、
「おのおの此の玉を宝としたまはんや。」
 と問ひたまひしに、御兄二人は、
「此の璧にまさる宝はあらじ。」
 とのたまひけるに、達磨大師は7歳にて、一の乙皇子なれども。
「此の玉は世宝にて、宝にあらず。智光の珠こそは又なき宝なれ。」
 とて、彼の璧を投げうちたまひければ、尊者おどろき、
「かかるいとけなき身にして、ふしぎなる人かな。」
 とて、すなわち御名を達磨とつけられる。はじめは菩提多羅と申せしとかや。
 達磨とは、万の事に達し通じて、磨き立てたるようなる人なり。

 宝石といっても、しょせん他からの光で輝いているに過ぎない。迷いの闇を打ち破る仏の光(仏の教え)こそ宝なのである。

国語の勉強

 上の子が、国語が苦手だというので電話帳を一緒に解いて(北海道から全国制覇を目指している)解き方を説明しているのだが、先日の問題(茨城県)にいいのがあった。出典は、劉向著「説苑」だ。

 楚共王出猟而遺其弓、左右請求之。共王曰、止。楚人遺弓、楚人得之、又何求焉。

 楚の共王が狩に出て弓を忘れたのでお供の者が探しに行こうとすると、楚人が忘れて楚人が拾うのだからいいんじゃないと共王が言ったという話だ。

 これに続けて、孔子のため息が書かれている。

 仲尼之を聞きて曰く、「惜しいかな、其の大ならざること。亦人弓を遺れて、人之を得と曰はんのみ。何ぞ必ずしも楚のみならん。」と。

  なんて、ちっちゃな人間だ!
  人が忘れた弓を、人が拾うだけのことと何でいえないんだ。どうして楚人に限るんだ。

  電話帳には達磨の話なども問題として出されており(山形県)勉強になる。
  人は、本来無一物、無一物中無尽蔵。

今日の格言

「片足を折れば両足でなかったと神に感謝し、両足を折れば首の骨でなかったと神に感謝する」(ユダヤの格言)
「最大の栄光は、一度も失敗しなかったことにはなく、倒れる毎に必ず起きあがることにある」(オリバー・ゴールドスミス)
「誰かが助け起こすのを期待して、自らすすんで倒れてはいけない」(マキャベリ)

最近自分に言い聞かせる言葉

 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。(マタイ5章41節)

 なお、1ミリオンは1.4キロです。

家庭集会

 毎月第一金曜日は、弁護士のK先生のご自宅で家庭集会が開かれている。今回も参加した。
 
 今日は次のところだった。

● やもめと裁判官(ルカによる福音書18章1節乃至8節)

 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
 そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。


 司法試験受験生だった頃、次の一節(Matthew, 7:7-8)を聞いて俺は受かると思ったものです。

 Ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you.
 For everyone who asks receives, and he who seeks finds, and to him who knocks it will be opened.