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信じない人のための法華経講座

 僕のおじいちゃんは昭和大恐慌の時に他人の保証人になって全財産を失い無一文となった。茫然自失したおじいちゃんは法華経にひたすら救いを求めた。そのおかげ(日蓮宗の寺の人々の善意のこと)で長男は日蓮宗の大学に行き日蓮宗の僧侶になりその子どもは多くの寺をもつ住職となってベンツを乗り回して檀信徒をまわっている。次男であった僕の父は妙林寺という寺から朝日高校に通わせてもらい、岡山大学を出て弁護士となった。
信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)
 さて、本書は、法華経の中にある観音経が説くような即物的救済が現実に起こることはないという。
 それはそのとおりである。
 そこから、本書はp156~157で次の宮沢賢治の有名な詩をあげて、しかし、そこに救済があると展開していくのだ。

  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
  北ニケンクワヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニ
  ワタシハナリタイ

 そして法華の行者としての賢治のこの詩から、次のように展開する(同書p158)。

「ここで求められているのは、人と人の出会い-助ける人と助けられる人との出会い-であり、苦の除去というよりは苦の分かち合い」である。その典型は「涙」である。これは「無力」で「デクノボー的」だ。しかし、これこそが救済なのである。
 「ブッダは、世界の苦と苦の相互関係の一切を自己の智恵と慈悲のうちに取り込んでいます。現世において苦しむ者と、その者に救いの手を差し出す者との出会いの瞬間に、ブッダの臨在がある」というのだ。
 本書は、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の「ほんたおうの神さま」について議論するところをとりあげて人生の終着駅である「終点(天国)がある者」と「ない者」(天国からあえて戻って来て救済を求める人に手を差しのべる者)を対比して終章としていた。
 ちなにみ銀河鉄道の主人公のジョバンニというのはヨハネのイタリア名である。

・参考 『銀河鉄道の夜』の「ほんたおうの神さま」のところ・・・・・

 ジョバンニがこらえかねて言(い)いました。
「僕(ぼく)たちといっしょに乗(の)って行こう。僕(ぼく)たちどこまでだって行ける切符(きっぷ)持(も)ってるんだ」
「だけどあたしたち、もうここで降(お)りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから」
 女の子がさびしそうに言(い)いました。
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕(ぼく)の先生が言(い)ったよ」
「だっておっ母(か)さんも行ってらっしゃるし、それに神(かみ)さまがおっしゃるんだわ」
「そんな神(かみ)さまうその神(かみ)さまだい」
「あなたの神(かみ)さまうその神(かみ)さまよ」
「そうじゃないよ」
「あなたの神(かみ)さまってどんな神(かみ)さまですか」
 青年は笑(わら)いながら言(い)いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人(ひとり)の神(かみ)さまです」
「ほんとうの神(かみ)さまはもちろんたった一人(ひとり)です」
「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神(かみ)さまです」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神(かみ)さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈(いの)ります」
 青年はつつましく両手(りょうて)を組みました。
 女の子もちょうどその通りにしました。
 みんなほんとうに別(わか)れが惜(お)しそうで、その顔いろも少し青ざめて見えました。
 ジョバンニはあぶなく声をあげて泣(な)き出そうとしました。
「さあもうしたくはいいんですか。じきサウザンクロスですから」
 ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙(だいだい)や、もうあらゆる光でちりばめられた十字架(じゅうじか)が、まるで一本の木というふうに川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるい環(わ)になって後光のようにかかっているのでした。
 汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈(いの)りをはじめました。
 あっちにもこっちにも子供が瓜(うり)に飛(と)びついたときのようなよろこびの声や、なんとも言いようない深(ふか)いつつましいためいきの音ばかりきこえました。
 そしてだんだん十字架(じゅうじか)は窓(まど)の正面(しょうめん)になり、あの苹果(りんご)の肉(にく)のような青じろい環(わ)の雲も、ゆるやかにゆるやかに繞(めぐ)っているのが見えました。
 「ハレルヤ、ハレルヤ」
 明るくたのしくみんなの声はひびき、みんなはそのそらの遠くから、つめたいそらの遠くから、すきとおったなんとも言(い)えずさわやかなラッパの声をききました。
 そしてたくさんのシグナルや電燈(でんとう)の灯(あかり)のなかを汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架(じゅうじか)のちょうどま向(む)かいに行ってすっかりとまりました。
「さあ、おりるんですよ」
 青年は男の子の手をひき姉(あね)は互(たが)いにえりや肩(かた)をなおしてやってだんだん向(む)こうの出口の方へ歩き出しました。
「じゃさよなら」
 女の子がふりかえって二人に言(い)いました。
「さよなら」
 ジョバンニはまるで泣(な)き出したいのをこらえておこったようにぶっきらぼうに言(い)いました。
 女の子はいかにもつらそうに眼(め)を大きくして、も一度(ど)こっちをふりかえって、それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
 汽車の中はもう半分以上(はんぶんいじょう)も空(す)いてしまいにわかにがらんとして、さびしくなり風がいっぱいに吹(ふ)き込(こ)みました。
 そして見ているとみんなはつつましく列(れつ)を組んで、あの十字架(じゅうじか)の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。
 そしてその見えない天の川の水をわたって、ひとりのこうごうしい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。
 けれどもそのときはもう硝子(ガラス)の呼(よ)び子は鳴らされ汽車はうごきだし、と思ううちに銀(ぎん)いろの霧(きり)が川下の方から、すうっと流(なが)れて来て、もうそっちは何も見えなくなりました。
 ただたくさんのくるみの木が葉(は)をさんさんと光らしてその霧(きり)の中に立ち、黄金(きん)の円光をもった電気栗鼠(でんきりす)が可愛(かわい)い顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。
 そのとき、すうっと霧(きり)がはれかかりました。
 どこかへ行く街道(かいどう)らしく小さな電燈(でんとう)の一列(いちれつ)についた通りがありました。
 それはしばらく線路(せんろ)に沿(そ)って進(すす)んでいました。
 そして二人(ふたり)がそのあかしの前を通って行くときは、その小さな豆いろの火はちょうどあいさつでもするようにぽかっと消(き)え、二人(ふたり)が過ぎて行くときまた点(つ)くのでした。
 ふりかえって見ると、さっきの十字架(じゅうじか)はすっかり小さくなってしまい、ほんとうにもうそのまま胸(むね)にもつるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚(なぎさ)にまだひざまずいているのか、それともどこか方角(ほうがく)もわからないその天上へ行ったのか、ぼんやりして見分けられませんでした。
 ジョバンニは、ああ、と深(ふか)く息(いき)しました。
「カムパネルラ、また僕(ぼく)たち二人(ふたり)きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕(ぼく)はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕(ぼく)のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない」
「うん。僕(ぼく)だってそうだ」カムパネルラの眼(め)にはきれいな涙(なみだ)がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう
 ジョバンニが言(い)いました。
「僕(ぼく)わからない」
 カムパネルラがぼんやり言(い)いました。
「僕(ぼく)たちしっかりやろうねえ」
 ジョバンニが胸(むね)いっぱい新しい力が湧(わ)くように、ふうと息(いき)をしながら言(い)いました。
「あ、あすこ石炭袋(せきたんぶくろ)だよ。そらの孔(あな)だよ」
 カムパネルラが少しそっちを避(さ)けるようにしながら天の川のひととこを指(ゆび)さしました。
 ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔(あな)が、どおんとあいているのです。その底(そこ)がどれほど深(ふか)いか、その奥(おく)に何があるか、いくら眼(め)をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼(め)がしんしんと痛(いた)むのでした。ジョバンニが言(い)いました。
「僕(ぼく)もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕(ぼく)たちいっしょに進(すす)んで行こう」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集(あつ)まってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ」
 カムパネルラはにわかに窓(まど)の遠くに見えるきれいな野原を指(さ)して叫(さけ)びました。
 ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかり、どうしてもカムパネルラが言(い)ったように思われませんでした。

残念な人の思考法

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

 『残念な人の思考法』 ↑(くりっくするとアマゾンに飛びます) という本を読んだ。

  プロローグ なぜ残念なのか
  1章 残念な人は作られる
  2章 二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える
  3章 残念な人は「塗り絵」ができない
  4章 機能だけを磨いても二階には上がれない 
  5章 人生を残念にしないためのプライオリティ

 印象に残ったのは次の話し(P131~133)

※ 誤解を招いたようなので、赤字で補足をいれます。

 入社三ヶ月目の女子社員が、これから3ヶ月の間、月に数回休みが欲しいという。
 理由を尋ねると、「前の会社で不当解雇されたので納得がいかないので、ユニオンにいかないといけない」という。
「それが本当に必要なことなのか」と尋ねると、「納得がいかないから」とまた答える。
 そして、「前の会社からされた措置に対し、そのまま泣き寝入りすることはできない。不当な行為をそのまま見過ごしていくわけにはいかない。一緒に入った仲間のためにそうだし。今後同じような目に遭う人がでたら大変だから」というのである。
 で、何を請求するのと聞くと、「給料の未払いだ」という答えだった。そこで、金額を聞くと、「50万円です」というのである。
 え、50万円という話である(億単位を扱う外資系コンサルの会話だと思われるので、我々庶民の感覚に直すと多分、5千円くらいの感覚だと思われます。)。そこで、こう諭した「そんなことで時間を無駄にするより、今うちの会社で将来のために頑張った方がずっと未来は明るい。うちなら頑張ったぶんは成果として必ず帰ってくる」と。
 しかし、女子社員は残念な人であった。「でも納得がいきません」(仲間のためとか、後の人というのが本当の理由ではなくて「自分が」こんな目にあうこと自体が納得できないというのが本当の理由であることがわかる)!!
 そこで、さらに諭すのであるが、そこは本書を読んでもらうとして、法律事務所にはこういうたぐい(感情が本当の理由)の「残念な人」が次々と相談に来るのである。僕はそこでその思考がいかに残念かを婉曲に説くのであるが力足らずである。あぁ。

 ☆ 人生は有限だから、プライオリティをつけていかなければならないということが学べます。

今日の言葉

 朝、サンテレビのトラップ一家物語を子どもとみているとドローレンス修練長が次のような言葉を言ってマリアを祝福していた。

「この神の家(ノンベルク修道院)だけが神がいらっしゃる所ではありませんよ。あなたがどこにいようと神はいつもあなたのすぐそばにいらっしゃるのです。あなたが求めさえすれば。修道院を出るからと言って神の国から追放されるわけではありません。神があなたを必要としているように8人の人達があなたを必要としているのでしょ。あなたがノンベルク修道院に来てトラップ男爵のもとに派遣されたのも、すべて母のいない7人の子供たちとトラップ男爵をあなたに巡り合わせる為に神がなさった思し召しのような気がします」



 トラップ一家物語 第1話「私、修道女志願です」  ← くりっく 
   ↑
  第一話だけ無料で公開されています。

聖書を読む会

 昨日は、第三木曜日なので「聖書を読む会」があった。昨日読んだのは、有名な放蕩息子のところだ。この会に参加してすでにはや5年、この部分は今回で3回目だ。

 ルカによる福音書15章11節乃至32節

 イエスは、また言われた、
 「ある人に、ふたりのむすこがあった。
 ところが、弟が父親に言った、
  『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。
 そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。

 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
 そこで彼は本心に立ちかえって言った、
  『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
 そこで立って、父のところへ出かけた。

 まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
 むすこは父に言った、
  『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
 しかし父は僕たちに言いつけた、
  『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。

 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。

 すると父は言った、
 『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。


 
 ところで法華経(信解品)にも「長者窮子の譬え」というよく似た話がある。

 ところで、聖書はここで道徳や倫理を超えた神の愛を示しているのだが、さてわれわれ人間ならどうすべきかあるいはどうあるべきかについて考えたのであります。

偉い人とはどういう人か

コルベ神父―優しさと強さと (母と子でみる)

 マキシミリアノ・マリア・コルベ神父

 コルベ神父は、36歳のときに長崎に来た。
 日本で布教活動に励んでいたコルベ神父は、6年後の昭和11年に故国ポーランドへ戻った。
 1941年2月17日の朝、ゲシュタポが彼を捕らえに来た。
 このとき、20人の修道士が彼の身代わりになることを願い出たが拒否された。
 ついに彼はアウシュビッツ強制収容所に送られた。

 同年年7月末、コルベ神父の働く班から脱走者が出た。
 連帯責任と見せしめのためにその班から10人が無作為に選ばれ餓死刑に処せられることになった。

 一人の選ばれた男が、「私には妻子がいるんだ」と泣き崩れた。

 この叫び声を聞いたコルベ神父は、所長の前に進み出た。
 所長は、「なんだ、このブタ」と叫んだ。
 神父は、「お願いしたいことがある」と静かに言った。
 所長は、「お前は誰だ」と訪ねた。
 神父は、「私はカトリック司祭です。妻も子もいませんから、この人の身代りになりたいのです」と静かに告げた。
 所長は、驚いて言葉をしばらく失ったが、了承した。

 コルベ神父は他の9人と共に餓死監房に入られた。
 餓死監房からは、祈りの声や賛美歌が聞こえてきて、他の囚人部屋の囚人も一緒に祈り賛美歌を歌った。

 コルベ神父は、人々を励まし、神の国へと見送った。そこは、もはや聖堂だった。
 2週間後でも、彼を含めてまだ4人が生きていた。

 所長は、注射により処刑することにした。
 コルベ神父は、静かに自ら腕を差し出し永遠の眠りについた。
 そのとき、47歳だった。

売れ続ける理由

売れ続ける理由~一回のお客を一生の顧客にする非常識な経営法

 人口たったの4700人しかいない町の小さなスーパー「さいち」に、イトーヨーカ堂の創業者や餃子の王将の社長がわざわざ見学に来た。大手コンビニやスーパーから研修の申込が殺到する。
 なぜならこのスーパーにしかない「秋保おはぎ」を求めて全国から人が集まるからだ。


 資金繰りに苦しむ佐藤社長は、わらをも掴む思いで商工会が主催した箱根の研修に借金でお金を工面して申込み出席する。
 なるほどと思う内容だったが頼みの資金がない。
 帰路の小田急線にしょんぼりと乗っていると同じ会に出席していたスーパーダイユーの大林勇社長が、自殺でもするんではないかと心配になって同じ席に座ってくれた。
 初対面にもかかわらず大林社長に資金繰りの苦しさを吐露するとその社長は、親身になって様々なノウハウを惜しげもなく語ってくれた。
 「お客様あっての商売だから、まずお客様に喜んでもらえる商売をやりましょう。ただ、売ってればいいというものではなないんだよ」
 そして、「まず勉強しましょう」と自分のところへ来て現実の経営を掴むようにと店に通って勉強するとうにと暖かい手をさしのべてくれたのだった。

 そして、1979年12月9日、主婦の店「さいち」はオープンした。急死した大林社長にかわって新社長となっていた大林社長の奥さんが自らダイユーの社員とともに手伝いに来てくれてのオープンだった。
 「さいち」の佐藤社長は開店から5年間はスーパーの事務所のベニア板で寝泊まりし、家に帰る暇はなく、もちろん子どもと顔を合わせることもない、子どもが顔を忘れては困るとときどき挨拶にくるような生活だ。
 奥さんは、毎日朝の1時半から総菜作りにとりかかる生活に、開店から5年目に心臓が停止し、死の淵を彷徨い一命をとりとめる。

 価格競争に巻き込まれるのを避けるために9年目にチラシ広告を一切やめる。

 キャバレーに朝礼を学び、挨拶の出来る社員を採用し、おはぎや総菜のレシピを排除し徹底的に手作りにこだわる。
 そして従業員は、うちに就職した以上は絶対にしあわせになってもらうために社員を厳しく育てる。

 さいちのモットーはモノに心をいれるだ。
 ライバルは家庭の味で、添加物や保存料を使わないものを常に提供している。
 取引先とは信頼関係を重視し価格交渉は一切しないし、お酒もゴルフもしない。

 このようにして日本中からおはぎを求めて人が集まる小さなスーパーが生まれたのである。
 そして、「さいち」には研修の依頼が日本中から来る。
 スーパー「さいち」は、ライバル企業だろうが誰だろうが研修に来る者に惜しげもなく企業秘密を教え、上手い売り方や広告は不要だと教え、利益は後からついてくると説く。

 そして、今日も「秋保おはぎ」を求めて全国から人がこのスーパーに集まるのである。

まっすぐ見る

 一休さんの庵の庭に曲がりくねった松が植えられていた。
 そこで、一休さんが弟子達に言った。

一休 「あの松をまっすぐに見ることができる者はいないか」

 弟子達は黙ってしまった。

 そこへ蜷川新左衛門が現れたので、同じ質問をした。

蜷川 「曲がりくねった松ですな」

 一休さんはポンと手を打った。

弁護士にも役に立つ部分があるはず。。。

僕の年商が、5万円から3000万円になった本当の理由

 本書の浅川行政書士さんは、

 開業1年目 年商    5万円 神社の大きな木に広告をつり下げる
 開業2年目 年商   40万円 飛び込み営業をする
 開業3年目 年商   50万円 地元新聞に広告を掲載する、
                     ポスティングをしてみる
 開業4年目 年商  200万円 タウンページの興信・探偵欄に広告
 開業5年目 年商  300万円
 開業6年目 年商 1000万円 ファックスDMを導入
 開業7年目 年商 3000万円 テレビ局へ片っ端からメール
                     地元のフリーペーパー2誌への連載
                     探偵学校へ入学
                    
 となっていったそうです。
 主に広告戦略と事業展開について書かれていました。

 たとえば  普通のHP ← くりっく
       非常識なHP ← くりっく

 両方ともこの行政書士さんのHPです。どうですか参考になりましたでしょうか。

アドベント

 今年のアドベント(待降節)は、11月28日(日)から始まります。
 いよいよクリスマスの季節ですね。

 荒野の果てに(賛美歌106番)




保育器の中の大人

哺育器の中の大人―精神分析講義 (文春文庫)
哺育器の中の大人―精神分析講義 (文春文庫)

 この本↑の中にある話。

「歌手の南沙織が歌手をやめようと決心したとたんに、
 洋服ダンスの中のたくさんの衣装がみんなチンドン屋の服のように見え、
 飾ってあったトロフィーがガラクタに見えてきた」

● 自己本来の面目を発見した瞬間!

人生、意気に感ず!

唐詩選の冒頭を飾る「魏徴」の

 『述懐』

 中原、還た鹿を逐い
 筆を投じて戎軒を事とす

 縦横の計は就らざれども
 慷慨の志は猶お存せり

 策に杖りて天子に謁し
 馬を駆りて関門を出ず
 纓を請うて南粤を繋ぎ
 軾に憑りて東藩を下さん
 鬱紆、高岫に陟り
 出没、平原を望む

 古木に寒鳥鳴き
 空山に夜猿啼く
 既に千里の目を傷ましめ
 還た九逝の魂を驚かす
 豈に艱険を憚らざらんや

 深く国士の恩を懐う
 季布に二諾無く
 候嬴は一言を重んず

 人生、意気に感ず
 功名、誰か復た論ぜんや


ブックレビュー掲載

 岡山大学広報誌 いちょう並木58号 に私の書いたブックレビューが掲載されました。

 私が薦める一冊 ← くりっく

ドケチ道


ドケチ道 ―会社を元気にする「生きたお金」の使い方

 日本一ドケチな会社である。
 蛍光灯には引き紐があり、引き紐には担当者の名札が。席を離れるときはそれを引いて蛍光灯を切る。
 エレベータの閉を押させず、ドアノブははずしてある。
 コピー機は会社にたったの1台。ちなみに社員は330人。
 人のいない廊下の蛍光灯は切ってあるので廊下は真っ暗。
 警備室はあるが警備員はいない。営業社員の机の電話は線が切ってあってつながらない。
 値引きと値下げはもちろんしない。

 社員の定年は70歳。年間休日は140日、育児休暇は3年。
 労働時間は7時間15分で残業禁止。出張費は渡しきり、節約した分は自由に使える。
 社員を教育しない、管理しない、強制しないの3ない主義。
 ホウレンソウは禁止。

 会社中に「常に考える」とはってある。

 でもちゃんと元気に生き残っている。
 これが未来工業という会社だった。

 未来工業、「反常識の経営」で ← くりっく